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古民家80と伊達政宗


伊達政宗仙道筋の攻略を巡る旅で、平成29年10月18日に福島マスターズクラブの皆様が来ました。


バスツアーの目的は古民家80の正面に見える小手森城で、
伊達政宗の仙道筋の攻略を巡る山城を巡る旅でした。


小手森城は標高464mの山城で、
1585年(天正13年)は小浜城主・大内定綱の持ち城で、
菊地顕綱(あきつな)が城主であった。


小手森城は急な坂道が続く山城。
山頂に行くには時間もかかるのでボランティア協会の鴫原敏郎さんの説明で、
伊達政宗と小手森城の由来を聞きました。


小手森城は途中から200の石段。
上ると山頂にたどり着きます。


現在の山頂には愛宕神社がある。
時は1585年8月23日、伊達政宗は仙道筋攻略の為に多くの軍勢を率いて川俣方面より進撃して小手森城を包囲した。


1585年8月23日は伊達政宗19才の時であった。


小手森城は伊達の軍勢に包囲され、500丁の鉄砲隊と共に総攻撃された。


伊達軍は小手森城に火を放った。
風が強かった事もあり、火は城方面に広がり8月27日に落城した。
伊達政宗は自分の勢力を見せ付ける為に800名の撫で斬りをした。


宮森城は大内定網の城であったが、小手森城の合戦後に定網は会津の蘆名に落ち延びた事から
無条件で宮森城を明け渡し、伊達政宗の父の伊達照宗が城主として住んでいた。


1585年(天正13年)9月26日、伊達照宗は宮森城へ入る。
(宮森城の山頂に続く階段)


宮森城跡、回りは急斜面で典型的な山城であった。
現在は神社があるだけである。


伊達政宗の家臣の片倉小十郎の屋敷跡に433年前に植えた梨の木が今も存在しています。


1585年(天正13年)10月8日、伊達政宗の父親の照宗が宮森城で
二本松城主の畠山吉継に拉致されて殺害された所が粟ノ巣古戦場でした。


二本松城は1986年(天正14年)9月、二本松城の国王丸は本丸を自焼し、
会津に落ちて伊達政宗の城となる。


小浜城は大内定網の持ち城であったが、小手森城の落城後に定網は会津蘆名へ落ち延び、
その後伊達政宗の城となった。


小浜城入り口階段で記念写真。
福島マスターズクラブの皆さんと伊達政宗仙道筋を辿る旅でした。


小浜城石垣が昔を思い出されます。


福島マスターズクラブのお客様が古民家80で昼食しながら、
二本松市ボランティア協会会長の鴫原敏郎さんから説明を聞きました。


福島民報に掲載されました。


福島マスターズ倶楽部の会長さんからお礼のハガキを頂きました。




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